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原爆投下と修道学園

2024.09.02

▲授業再開後の修道中学校(米国国立公文書館)

1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下されました。当時の様子を修道学園史等から振り返ってみます。

爆心地から約2㎞隔てた修道中学校(現修道中学校・修道高等学校)は校舎の大半が爆風で倒壊、生徒1名が圧死しました。その日の午後、周辺から火の手が迫る中、数名の教職員・生徒が近隣住民と協力して必死に防火活動にあたり、残った校舎のみならず南千田町一帯の延焼を食い止めたということです。

一方で当日はほとんどの生徒・教職員が校外での勤労作業動員中であったため、その多くは動員先で被害にあいました。特に2年生は爆心地近くの雑魚場町(現在の国泰寺町、小町周辺)で建物疎開に携わっており、136名もの命が奪われました。たまたま樹木の陰にいて奇跡的に助かったという数少ない生存者のおひとりは92歳となられました。今年の8月6日も修道中高の慰霊碑前で行われた慰霊祭に参加され、亡き同級生達の冥福を祈られました。

修道中学校全体では教職員等13名、生徒188名が原爆のため亡くなりました。校舎が倒壊し満足に使える教室は4室しかありませんでしたが、教職員は生徒の安否確認・所在調査に追われながらも校舎の応急修理を行い9月15日には授業を再開しました。原稿用紙に手書きで授業再開を知らせるビラが、市内6か所に貼られたとされる記録が残っています。
これら被爆直後の様子は「修道学園史」(1978年、修道学園)と「流光 語り継ごう平和を 被爆50年」(1995年、修道中学校・修道高等学校)に当時の生徒達の生々しい証言とともに詳しく記されています。来年発行予定の「修道学園三百年史」にも記載の予定です。

修道中学校では、毎年8月6日に2年生が学年単位で平和学習を行っています。今年も8時15分に当時の被災地、雑魚場町近くの公園で黙祷し、被爆建物や慰霊碑を見学しながら学校に戻り、校内の慰霊碑前で献花・献水、黙祷の後、卒業生による被爆体験講話を聞きました。

もう一つの設置校、広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校は1941(昭和16)年に現在の校地(西区井口)に広島商業実践高等女学校として設立されました。校舎は被災を免れたものの、80名余の生徒が主に自宅や通学・通勤途上で被災し亡くなりました。校舎は応急救護所となり、多数の被災者が運び込まれ、看護に従事した生徒もいました。また、自宅や家族を失い、しばらく学校で起居した生徒もありました。被爆3日後に路面電車復旧第1号を運転したことで知られる当時の姉妹校、広島電鉄家政女学校の生徒たちも、ここで避難生活を送りながら、負傷者の手当てにあたったそうです。

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