MESSAGES
VOL.1
〈座談会〉 修道学園の「道」を語る
─前編─
修道学園のこれまでと今、そして未来の「道」について、修道学園 林正夫理事長、広島修道大学 矢野泉学長、修道中学校・修道高等学校 田原俊典校長、広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校 白岩博明校長が、それぞれの視点を交えて語り合いました。
修道学園のあゆみを振り返る
理事長・学長・校長が考える、修道学園の転換点
林正夫理事長(以下:林)
修道学園は1725(享保10)年に広島藩5代藩主の浅野吉長公が藩学の源となる「講学所」を創始したことに淵源を発し、来年2025(令和7)年に300周年を迎えます。設置校は藩学の流れを引く修道中学校・修道高等学校と広島修道大学に加え、2015(平成27)年4月から鈴峯学園との合併により、広島修道大学附属鈴峯女子中学校・高等学校、鈴峯女子短期大学が新たに加わりました。その後、鈴峯女子短大は2017(平成29)年に廃校となり、広島修道大学健康科学部に引き継がれました。また修大鈴峯女子中高は、広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校に校名を変更し、2019(平成31)年に男女共学校として新たなスタートを切りました。
現在は、修道中学校・修道高等学校約1,700名、広島修道大学約6,300名、そしてひろしま協創中学校・高等学校約900名の生徒・学生を擁する西日本でも有数の総合学園として、発展を続けています。
田原俊典校長(以下:田原)
修道学園は300年もの長い歴史のある学園ですが、理事長は、学園のターニングポイントはどこにあるとお考えですか?
林
やはり廃藩置県でしょうか。藩校がなくなって一旦は頓挫したけれども、浅野家のご支援と山田十竹先生の熱意によって私学として継承されました。廃藩置県は学園の存亡にかかわる大きな出来事だったと思いますね。
田原
今、理事長がおっしゃったように、外部が発端となったターニングポイントには廃藩置県と、そして原爆投下があると思うのですが、修道中高では、内部からも重要な転機がありました。それは何かと言いますと、学園紛争です。当時、全国の大学で私立、国立を問わず紛争が起き、本校でも、大学生の影響を受けた生徒が過激化し、校内にバリケードを張って、教員や他の生徒が教室に入れないように封鎖したのです。生徒の中にはそうした暴力的な行為に反対する者もいたので、生徒同士がワーッと揉める事態になりましてね。実は1969(昭和44)年に、機動隊が2回ほど校内に入ったんですよ。機動隊と当時の先生方、それから平和を求める生徒と同窓生の方々によって鎮圧されたのですが、この時、教員と生徒と保護者が、校則や制服のあり方なども含めて、修道の教育の本質について本気で話し合ったわけです。その結果として、現在の自主性を重んじた自由な校風が築き上げられたという非常に大きなターニングポイントだったと考えています。
矢野泉学長(以下:矢野)
広島修道大学のターニングポイントは3つあると考えています。4年制大学としては広島商科大学がスタートですが、修道学園の最初の高等教育機関である修道短期大学商科が1952(昭和27)年に開学したことが一つ目のターニングポイントです。商業系の高等教育機関が少ないということで、地域の要請に応える形で開学した大学ですが、地域から求められる人材の輩出をめざす、今日の広島修道大学の土台であると考えています。
二つ目は、1973(昭和48)年に広島商科大学から広島修道大学に校名を変更し、人文学部を設置して単科大学から総合大学への道を歩み始めたこと、そして翌年に観音キャンパスから沼田キャンパスに移転したことです。本学が現在の姿に発展していく契機となりましたね。また、1990年代後半から2000年代にかけて、経済科学部や人間環境学部を設置して学部・学科の充実を図る一方で、短期大学部を廃止しました。開学から四半世紀が経過し、新たなステージに入った時代だったと思います。
そして三つ目は、2015(平成27)年の修道学園と鈴峯学園の合併です。先程の理事長の話にもありましたが、鈴峯短大は管理栄養士課程を持つ健康科学部に移行し、発展的に解消されました。いずれのターニングポイントも、時代の流れを敏感に読み取り、変化に対応してきたことに共通点があると感じます。
白岩博明校長(以下:白岩)
広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校の開校は1941(昭和16)年で、今年(2024年)で83年の歴史があります。広島瓦斯電軌株式会社、現在の広島電鉄株式会社と広島ガス株式会社の寄附金によって、広島商業実践女学校として開校したのが始まりです。1951(昭和26)年に鈴峯学園となり、短大も中高も女子校として歩んできました。そして2015(平成27)年に修道学園と合併、2019(平成31)年に男女共学化し、校名を広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校へ変更して現在に至ります。法人合併と男女共学化は、本校にとって非常に大きなターニングポイントでした。
在任期間に遭遇した印象的な出来事
林
私は2000(平成12)年7月から、本学園の理事長職を拝命しておりますが、特に印象深いのはやはり、先程来、話題に上っている鈴峯学園との合併ですね。事の端緒は2012(平成24)年にあるのですが、両学園の経営陣が忌憚なく互いの強みや弱みなどを話す中で、鈴峯女子中高を広島修道大学の附属校とし、鈴峯女子短期大学は広島修道大学と統合して新学科・新学部を設置することで双方の弱みを強みに変えられると判断し、合併を決断したのです。
話は変わりますが、私は修道中高の卒業生でもあります。私の学生時代の修道というのは、学業も一生懸命にやる一方で、スポーツも盛んな文武両道の学校でした。私は水泳をやっていたのですが、柔道にしてもサッカーにしても、当時は県で一二を争うハイレベルな実績を残していましたね。
田原
私はあいにく修道中高の出身ではないのですが(笑)、2006(平成18)年から校長を務めております。印象に強いのは、私が校長になった後に始まった高校の修学旅行ですね。「ふじ丸」という、外洋にも出られる大きな客船を移動手段と宿泊場所として借り切って実施する、他に例のない修学旅行で、世界遺産の屋久島や、当初は種子島にも行っていました。この修学旅行は、生徒の情操教育に効果的だということで、中国新聞にも大きく取り上げられたのをよく覚えています。
修道名物の修学旅行として長く続けてきたのですが、コロナ禍や燃料の高騰、物価高もあって船会社が対応できなくなり、残念ながら2022(令和4)年が最後になりました。この時は、全員が事前にPCR検査を受けた上で、「ぱしふぃっくびいなす」という大きな客船をチャーターして出かけました。校外に本校をプレゼンする際には、この特色ある修学旅行のことをよく話に出しましたね。
もう一つ印象的だったのは、2016(平成28)年のリオ五輪(男子400mリレー)で、銀メダルを獲得した山縣亮太選手が本校に凱旋した時のことです。生徒全員を体育館に集めて、メダルをお披露目したのですが、山縣選手が入場した時の生徒たちの盛り上がりはすごかったですね。私がインタビュアーとして山縣選手に話を聞くというスタイルでトークをしたのですが、彼に「なぜスタートが速いのか」と聞いたら、「号砲を毛穴で聞くから」という答えが返ってきました。「耳で聞くと、音が脳に伝わり脳から全身に信号が伝わるのに時間がかかる」と。生徒たちはいたく感動して聞き入っていましたが、恐らく理解できてはいなかったでしょう(笑)。これは山縣選手がスタートを極めて辿り着いた境地だと思うのですが、彼の話に私が便乗して「生徒諸君も山縣選手のように道を極めるつもりで勉強するように」と締めくくり、大盛り上がりのうちに終了しました。
矢野
私は林理事長や田原校長に比べて在任年数が浅いのですが、印象が強いのはやはりコロナ禍です。コロナ禍の中で、副学長を経て学長を拝命し、この未曽有の状況で大学をどのように運営し、教育を継続していくか。前例のない、さまざまな苦難を乗り越えるために、教職員が一丸となって挑戦を続けた結果、学生への影響を最小限に止めることができたと思っています。
コロナ禍においては、オンライン授業をはじめ、否応なしにICT化が進展し浸透していったわけですが、対面コミュニケーションが激減した学生生活の中でモチベーションを失う学生もおり、学生支援のあり方についてもいろいろと考えさせられました。しかしICT化がもたらすメリットは非常に大きく、昨年(2023年)のG7広島サミットで、広島市中心部の交通が制限された際にも滞りなく授業を実施できましたし、これからもオンラインを活用した教育は引き続き模索していきたいですね。
田原
コロナ禍では、経済的に厳しかった学生さんもいたのではないですか。
矢野
はい、ご家庭の経済状況が厳しくなったり、アルバイト収入が途絶えてしまったりという学生が本当に多かったです。ですので、本学の同窓会などからもさまざまなご支援をいただきましたし、大学としても学生が何とか修学を継続できるよう、あらゆる支援策を考えました。近隣の大学の中でも、学生への経済支援はかなり充実していた方だったのではないでしょうか。
林
支援実行の決断も早かったですしね。
矢野
PCやWi-Fiなど、オンライン授業に必要な環境を整えるために、理事長にもご支援をいただきながら、大学を挙げて頑張りました。
田原
コロナ禍では、私学と公立の差が大きく出ましたよね。私学はいち早くオンラインに移行しましたが、公立では移行までに時間を要しました。
白岩
私学の対応は早かったですね。スピーディーに決断して実行できるのは、私学の強みですよね。
私は2018(平成30)年に本校の校長を拝命して今年で6年目ですが、2019(平成31)年の卒業式が非常に印象深いです。この年は女子校として迎える最後の卒業式で、そうでなくても私はもともと涙もろいタイプなので、最後の乙女たちの旅立ちで号泣してしまうのは避けられないと考えて、ハンカチを2枚ポケットに用意しまして。式当日は生徒自治会長の生徒が実に感動的なあいさつをしてくれたものですから、ハンカチを1枚ずつ使うのでは追いつかず、結局、2枚のハンカチを壇上で同時に使う羽目になってしまいました(笑)。鈴峯学園がこれで本当に終わりだと感じた、大変印象に残る卒業式でしたね。