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04
300周年インタビュー・メッセージ
INTERVIEWS &
MESSAGES

撮影:平野タカシ 取材・文:相澤洋美
 ヘアメイク:MAKOTO スタイリスト(吉川さん):黒田 領

Special Edition

〈対談〉
心に刻まれた「修道魂」

吉川晃司さん
(ミュージシャン・俳優)
田原俊典
(修道中学校・修道高等学校 校長)
番外編

「誰もやらないことができる
カッコいい男」を語る

“修道のレジェンド”吉川晃司さんと、“西海岸”出身の田原俊典校長とのスペシャル対談〈番外編〉。本編では語られなかったスペシャルコンテンツをぜひお楽しみください。


見得を切るのが「カッコいい男」

田原俊典校長(以下:田原)

修道では「カッコいい男になれ!」というフレーズが合言葉のようになっています。これは私が中学校の卒業式の祝辞で「カッコいい男になれ。俺が望むのはそれだけだ」と言ったことに端を発しています。
この祝辞を述べた翌日から、生徒たちが自主的に「“カッコいい”って顔やスタイルじゃないよな、どういうのがカッコいいのだろう」と考え始め、次第にほかの教員まで使うようになっていきました。
実は、祝辞を考えるのをすっかり忘れていて、その場の思いつきで言った言葉だったのです。でも、結果的に日頃から考えていたことが本音として出たのではないかと思っています。
吉川さんはこの「カッコいい男」の代表ともいえますよね。

吉川晃司さん(以下:吉川)

自分では「カッコいい男」になれているとは思いませんが、少しでも近づきたいと思って日々精進しています。
「カッコいい男」になれるかどうかは、見得を切って生きられるかどうかだと思っています。「見栄を張る」だとカッコ悪い男に成り下がりますが、「見得を切る」男はカッコいい。そう思って生きています。

田原

さすが吉川さん、やはりカッコいいです。
私は生徒たちによく「背伸びして生きろ」と伝えておりますが、「見得を切る」には通じ合うものを感じます。
令和6年能登半島地震の復旧・復興のために開催された、東京ドームでのCOMPLEXチャリティーライブの吉川さんも、実にカッコよかった。布袋(寅泰)さん、吉川さんおふたりがステージ両端からそれぞれ出てきて、真ん中で固い握手を交わす場面は、緊張感と熱い思いが伝わり、感動いたしました。

吉川

あれは、やるほうも多少恥ずかしかったのですが、「馬場 VS 猪木」をイメージしてやらせていただきました。対決感が伝わって嬉しいです(笑)。

田原

吉川さんは佇まいや立ち居振る舞いも凜とされています。ずっと運動をされてきたから姿勢が美しいのでしょうか。

吉川

姿勢がいいのは、6年前に弓馬術礼法小笠原流の門下に入ったことがおそらく影響していると思います。礼法というのはなかなか難しいものなので、自分のなかでは、ロックミュージシャンの時と精神を切り替えるようにして、少しずつ自分のものにしています。

長いものには巻かれるな

田原

吉川さんは権力に迎合しない方だと伺っています。長い物に巻かれるのもよしとはされないですよね。

吉川

それは癪に障るので、絶対に嫌です(笑)。自分は修道時代、目立っていたとは思いますが、真ん中ではなく、外れのほうにいたので、世の中に対してはいつも「斜に構えて」みているところがあると思います。

田原

「レールは外れてみないといい景色は見えない」という名言をいただきましたが、真ん中ではなく少し外れているところからのほうがよく見える景色もありますよね。
修道では、「人と違う」個性を大事に中学・高校時代の6年間を過ごしますので、卒業生はみなそれぞれの個性を持って社会に出る。だからリーダーとして活躍される方が多いのではないかと思います。
もちろん、みながみな、吉川さんのようにカッコいい男にはなれませんが……。

吉川

とんでもない。でも修道は本当に、個性を大事にしてくれるいい学校だったと思っています。いまだに修道の方たちとはおつきあいがありまして、時々一緒に食事に行ったりもしています。

田原

生涯つきあえる友に巡り合えたというのをお聞きできて、私も嬉しいです。ただ、修道時代が楽しすぎたからか、卒業後も修道生は固まりやすい傾向があるようです。大学や社会に出て新しい友人環境も広げていただきたいところではありますが……。

吉川

修道は男子校なので女子がおらんけぇ、女子とも仲良くしないといけんですもんね(笑)

「自分には無理」と考えない

田原

修道で培ったものがいまの吉川さんのベースになっているとおっしゃってくださいましたが、具体的にどのように影響されているとお考えですか。

吉川

自分のベースは、修道で育てていただいた思春期にあると思っています。このベースが、人生で大いに役立っていると思っています。
どんどん前に進めなくても、少なくとも後ろに下がっていなければいいか、と考えられるようになったのも、個を大事にしてくれた修道の教育のおかげではないでしょうか。

田原

難しいことや新しいことに次々と挑戦されています。無理かもしれないと思うことにも果敢に挑戦する勇気は、どうしたら持てるようになるのでしょうか。

吉川

無理だとは考えないことです。「これは無理かもしれない」と思うとできないかもしれませんが、何か動いてみたら状況が変わりますから、そこからまたできそうなことを探していけばよいと思います。
以前、映画のロケでバイクのウィリーをして骨折したことがありました。手術の翌日がコンサートで、そのままステージで歌を歌ったのですが、動けないのでどんなステージになるか不安でした。
でも、終わってみたらスタッフやツアーメンバーから「今日はいままでで歌が一番よかった」と言われまして……。動けない分、歌に集中できたということなのかもしれません。自分の過失で情けない思いをしていたのが、その言葉で救われました。ですから、修道の生徒たちも、「無理なんてない」と思って生きてほしいです。

故郷・広島にエールを!

田原

同じく広島ご出身である奥田民生さんとのユニット「Ooochie Koochie(オーチーコーチー)」も新たな挑戦のひとつです。故郷・広島を盛り上げたいという社会貢献の意味も込めておられるのでしょうか。

吉川

はい、そうです。
実は奥田とは、高校時代からお互い顔見知りなんです。彼は違う学校でしたが、同じ歳で、同じようにバンドをやっていました。水球の練習のあと、メンバーと練習スタジオに行くと、奥田のバンドも来ていて顔を合わせたりしていたのです。
お互いプロになってからは特に交流はなかったのですが、近年になってフェスなどで一緒になる機会が何度かありまして。フェス後に酒を酌み交わしたりしている間に、何か面白いことを一緒にできないかな、という話になりました。
ちょうど還暦を迎える前でしたので、「還暦は(広島)カープの赤じゃけぇ、赤に乗って何か故郷に恩返しできたらええのう」ということで、ユニットを組むことになりました。

田原

はじめて伺いました。ではお二人はもともと気が合っておられたのですね。

吉川

いえ、水と油です(笑)。6月に初めてのアルバムができましたが、同じミュージシャンでありながら、こんなにも方法論や大事にしているものが違うのかと驚いたくらいです。

田原

素人目にみても、お二人がそれぞれ違う魅力を持っておられることはわかりますが……。

吉川

想像していたよりはるかに違いました(笑)。普段のアルバムをつくる3倍くらいのエネルギーが必要でしたが、満足いくものができました。これくらいの歳になると、つい守りに入りがちになりますが、本気で遊べるというか、戦いみたいな関係性で刺激をもらえたことは、自分のなかでもやってよかったなと思っています。

田原

お二人のパワーで、広島も元気をいただきました。

吉川

ただ奥田からは「おまえは孤独系の歌手じゃろう」と言われたのが気になっています。チームスポーツの水球をやっていたので協調性はあると思うのですが……。

田原

協調性がないと水球はできませんよね。チームスポーツですから。

吉川

ええ。でも今になって思えば、みんなが絶対にシュートを打たない枠の外からシュートを打つことも多かったんですよ。敵もまさかその位置からシュートすると思っていないので、ガードが甘くてよく得点できました。
シュートが決まると、チームメンバーからものすごく持ち上げられましたが、シュートミスをすると非難囂々だったので、当時の自分のやり方で、果たして協調性があったのかどうか、機会があればチームメイトに聞いてみたいですね。
ところで、田原校長は何班だったのですか。

田原

学生時代は野球をやっておりました。ただ、私は修道の卒業生ではないのです。なぜか、卒業生だと思われることが多いのですが……。
ちなみに私は西海岸出身です。

吉川

西海岸……!?

田原

島根県です(笑)。先日吉川さんも島根でコンサートをされていましたよね。
次は10年後、吉川さんの古稀記念でお目にかかれることを楽しみにしておりますが、その前に広島や「西海岸」にも、またコンサートでお越しください。
今回は、誠にありがとうございました。